第1セッション「ご当地音楽」
     
進行:大内 浩(芝浦工業大学教授)
   


(福光) 昨年の金沢創造都市会議で、ご当地ソングというテーマを論じていただいた増淵先生に、ご当地音楽というテーマでご提案をいただけないかなというふうに思った次第です。先ほど飛田代表幹事が具体的な例として、邦楽の世界での新作「金沢風雅」の話をご紹介いただきました。合わせ技という言葉も使っておられました。一種の、金沢化といいますか、アレンジといいますか、 今日は金沢学会という、仮説の出し合いの場ですから、ぜひご参加の皆さまも、仮説を楽しんでいただきながら、いろいろなご意見いただければ幸いであります。大内先生お願いいたします。
 
 大内 浩

「建築と音楽について、イタリアと日本」

 第1セッションのテーマは「ご当地音楽」です。音楽というのを町、あるいは町並み、建築が私の専門分野ですが、どういうふうに考えたらいいのでしょうか。 音楽会のようなところで、少しきちんとした形で聴く音楽もございますが、実は私たちの身の回りにかなり音楽というのはあふれておりまして、ちょっとしたところで、あれっと気が付くと音楽が鳴っているという世界があるわけです。しかし果たしてそれが本当に、私たちにとって優れた、あるいは相応しい音楽かどうかということは結構疑問に思います。
 最初に、建築と音楽という、あるいは町並みと音楽ということでお話をさせていただきます。この9月にイタリアへ行ったときに、ラキュラという小さな町のアカデミーの人たちに、建築と音楽(Architecture and Music)というテーマで話せという注文が来まして。そのとき考えたプレゼンテーションを、まず今日は紹介させていただきます。
 ご存じのとおりイタリアと日本は、いろいろな意味で形も似ています。人口規模であるとか、あるいは歴史であるとか、あるいはあそこもこちらも非常に古い町がたくさんある。そして金沢も、ご存じのとおり歴史都市です。イタリアにはいたるところに歴史的都市があります。金沢とイタリアの町というのを比較するとどうなるのだろうか。そこに音楽、音を付けていくと一体どういうことになるかということが、今日お話しするテーマでございます。
 もう一つは、建築や音楽というのは、実は20世紀の中でかなりある種の平行的な進化をしていまして、例えば建築が非常にモダンなものになっていくと同時に、音楽も非常にモダンなものになっていっている。その過程というのは何なのだろうか。そして現代都市というものとマッチングする音楽というのは何なのだろうということを考える。つまり、日本とイタリアという両者で並行的に比較をしてみるということと、もう一つは時代の流れといいますか、中世あるいは近代、そして現代というものを縦につないでみて、比較して、町並みや音楽を考えてみるというプレゼンテーションでございます。
 中世までの建築というのは、町並みには非常に装飾性が多くあります。皆さんヨーロッパに行かれると、建物にいろいろなデコレーションがあるのを見られると思いますし。実は日本の建築にも機能的とは言えないけれども、かっこいい瓦、鬼瓦のようなものが乗っかっているとか、ちょっとした柱であるとか、さまざまなところに装飾が施されている。そういう形のものがたくさんあるわけです。同じように音楽にも非常に飾りの美しさを好むという傾向があった。後ほど音楽をお聞かせいたします。そして、その背景には地域の特性、バナキュラーという言葉がございますが、地域らしさの素材であるとかデザインを生かすという工夫がなされておりまして、建築や町並みとともに実は音楽にも地域性というものがかなりあったということを感じていただきたいのです。具体的に今、町並みと音楽を両方お見せいたします。 (以下スライド併用)

●ペルージャは、あのサッカーの中田英寿が最初に行ったことで知られている町ですが、イタリアの中部の世界遺産都市でございます。ローマの時代よりも古い時代の地域がありまして、二重に城壁に囲まれた、イタリアの典型的な古い町でございます。ペルージャには新しい交通機関が用意されています。ミニモノレールといいますか、古い町を生かしながらどうやって新しい生活をしていくかということに、イタリアの都市もいろいろな工夫がなされております。古い町の光景は実は地下鉄の入り口でございまして、古いルネサンス時代の建物の下に地下鉄の入り口が造られております。今鳴っている音楽は、ご存じのとおり、お分かりだと思いますがリュートの、ルネサンス時代に作られた音楽でございます。

●ラキュラは、山岳都市で、人口8万人ちょっとの規模の町です。 イタリアの山岳都市にとっては、水というのが豊かさの象徴でして、さまざまなところに噴水があるということで、ようやく成り立つといいますか。水が引かれることによって町が成立いたしました。こういった歴史都市の中でも新しい試みがいろいろなされていまして、町の、例えば中心にあるピアッツア(広場)、そういうところでは現代的な催しなどもされております。

●さて、日本をどうやって紹介するか。今流れている音楽はご存じのとおりの宮城道雄さんの「春の海」です。日本の風景を海外に紹介するときには、いつもこの曲が使われます。私は、ちょっと食傷ぎみで、もういいやということで、この金沢をご紹介するときには、次の曲にいたしました。お聞きのとおりこれは篠笛の響きでございます。先ほど飛田代表幹事もおっしゃっていたとおり、金沢というと思い浮かぶのが、どうしても邦楽になるなというところでございます。
 次のCDに移ってください。 これは邦楽のお好きな方が、中でも代表するものの「高砂」の世界でございます。

●近江町市場の写真ですが、また今、雰囲気が変わってしまいますね。実は近代といいますか、19世紀の後半から20世紀というのは大きく美意識が変わった時代です。
 20世紀の建築、町並みというのは基本的に機能性を重視したものに変わっております。ここで取り上げますのは、近代建築の神様でもありますコルビュジエの建築で、後ほどご紹介します。「建築は住むための機械」。彼はそんなにネガティブな意味で言ったわけではなくて、産業技術によってつくられた機械文明というものをうまく建築に取り入れていくということを考えました。あるいは、ミース・ファン・デル・ローエ、もう1人の非常に代表的な建築家が「less is more」と。ある意味で装飾性を取り去って、シンプルなものになればなるほど、結果的にそこに豊かさが生まれていく、ミニマリズムという世界を、彼は代表するような建築を設計いたしました。シンプルな美しさということです。
 一方で、音楽も先ほどご紹介したような装飾性のある音楽から、非常にシンプルな音楽に変わりました。民族性や地域性を否定いたしました。ちょっと聞いていただくのはサティですが、サティはまるで家具のような音楽を作りたいということを言いましたし、バルトークという人はハンガリー生まれでありますが、モダンとエスノという中で揺れ動いた人でございます。現代洋楽の基を作った人でありますが、表面的にはそう思えないのですが、ある意味で、実は音楽としては数学的に非常にきちんと構成ができております。こうした動きというのは、産業の発展が標準化や実用性を求めたことと無関係ではないように思います。

●サヴォア邸というコルビュジエを代表する邸宅は、サヴォアさんという銀行家の週末のための家ですが、今日の建築家をめざす学生たちもまずここから近代建築の勉強をし始めるという代表的なものです。ご覧のとおり、非常にシンプルな美しさ。鉄筋コンクリートができたことによって、非常に開口部の多い窓や、あるいはピロティという形で建築を、地上にどっしり重々しく付いていた建築を解放していったのです。さまざまな近代建築の要素がここに隠されております。

●もう一つ、ラ・トゥーレット修道院という、リヨンの郊外にある修道院でございます。ドミニコ会という非常に先駆的な派が、コルビュジエと、それからもう1人はクセナキスという、建築もやりましたけれど音楽家でもあった。この2人が協力して造った建築でして、この建築美というものも、その後の20世紀の建築家たちに大きな影響を与えました。

●教会の礼拝の場所です。従来の教会の姿とは全く違う姿が分かると思います。皆さんがお聞きになっている曲は、エリック・サティの「ジムノペディ」の三つ目の曲です。この右側の窓のサッシなども、実はある種、数学、クセナキスの考え方によってできています。コルビュジエはキュービズム的絵画を描いたということでも有名でございます。

●ミース・ファン・デル・ローエの、バルセロナパビリオンは、バルセロナ万博のときに衝撃的な、ドイツの展示館として造られたのですが、20世紀建築に衝撃を与えたといわれているデザインでございます。

●今皆さんのお耳に入っている曲はバルトークのピアノの練習曲で、「10のやさしい」曲、非常にお聞きのとおりシンプルな曲です。バルトークという人は非常に、ピアニストでもあったのですが、ハンガリーに生まれ、その後ナチの弾圧を受けて、最後はアメリカ、ボストンに行くという、非常に苦難の道を歩いた人で、彼が提示した現代に対するさまざまなメッセージというのは非常に大きなものがあります。

●さて、現代というのは、では一体どこへ行っているのだろうかということで、二つのことをお話ししたいと思います。現代の建築都市というのはいろいろな混乱をしているということですが、一つは巨大建築に対する誘惑というものがございます。例えばアメリカが20世紀の初めに高層タワーをどんどんニューヨークに、あるいはシカゴに建てたのはご存じのとおり。今はもうその延長上にいろいろな巨大建築ができて、特に中国の上海などもそういう流れの上に今でも乗っているということはご存じのとおりです。いまはドバイが一番すごいのかもしれません。
 一方で建築家の中には、透明な建築というものをどういうふうに考えていくか。建築というのはある種の存在感はあるかもしれないけれども、まるで、かつて独裁者がいるように建築的な、建物によって何かを威圧していくとか、大きなイデオロギー的な背景の下に建築物を造るということではなくて、できれば透明で、そしてそれほど威圧的でない建築をどうやってデザインするかということも、現代建築家にとって非常に大きなテーマでございます。もう一つ、環境共生という言葉がいろいろなところで、建築の分野だけでなくても大きなテーマなわけですけれども、では一体環境共生というのは具体的に何かと。建造物というのは下手をすると最大のごみになっていくわけですけれども、環境共生型の、さらにサスティナブルな建築、あるいは都市というのは何なのかということを今模索している状況にございます。
 現代音楽は、ある意味でもっと行き場を失っているということです。西洋対東洋という呪縛。この後、武満徹さんの「ノヴェンバー・ステップス」をお聞きいただきますが、武満徹さんは残念ながら亡くなられましたけれども、今でも日本を代表する現代音楽家として、世界の中で最も知られている存在でございます。しかし彼自身も、自分のような東洋人が一体西洋音楽というものをどういうふうに消化していったらいいのか。文化勲章をもらった小澤征爾さんも今でも悩んでいる。そういう呪縛の中から脱し切れていないということがございます。
 一方で、そこから離れたいということもあって、偶然性であるとか、完全に確率によって音楽を変えていくということ。あるいは、図、画像というものと音楽との関係を軸に、音楽を変えていくということをやっている方います。さらに、例えば、伝統回帰。場合によってはアイヌの音楽であるとか、沖縄の音楽であるとか。あるいは縄文の時代はこういう音楽だったのではないかということまで含めて、江戸時代ぐらいまでは普通かもしれませんけれども、そういう伝統回帰への誘惑というのもあるように思います。
 私は、伝統というものは、それが生まれたときは前衛であったはずということを、この金沢で随分言い続けています。私たちが伝統芸術や伝統文化として今敬っているものも、クリエイトしたときというのは前衛作品で、それがさまざまな時代の流れの中で残ってきていたり、あるいはそこでさらに大事にされてきた歴史があるわけです。ということは逆に言うと、今現代の前衛というものが将来正統派として、あるいは伝統として扱われるという可能性が一体あるのかどうか。それとも、こういう問いこそは、果たしてナンセンスなのかどうかということをちょっと考えたいということです。
 ちょっと難しい、ややこしい音楽をお聞きいただきます。武満さんの音楽が難しいかどうか、あまり深く考えないでいただきたいのですが。武満徹と小澤征爾さん、サイトウ・キネン・オーケストラで録音したものをちょっとお聞きいただきます。

【音楽】

●ジョン・ケージという、現代音楽の祖ともいわれる一種の姿ですね。ジョン・ケージは、音楽というものを究極の姿として、例えば実際舞台の上でピアノをたたいて壊したり、あるいは舞台に演奏者が現れても、ついに最後まで一つも音が出ない、そういう音楽、それを音楽というかどうかはともかくとして、ある種のパフォーマンスまで演じて、音楽を非常にある種批判的に扱った人の典型です。

●つくばセンタービルは磯崎新さんが造られました。実は磯崎新さんは武満徹とかなりいろいろな交際があり、お2人の対談録もたくさんあります。武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」は、琵琶と尺八がオーケストラとコラボレーションするという作品です。

●「六甲の集合住宅」は安藤忠雄さんが造られました。最近は日本の建築家の中で、建築デザイナーとして設計をされながら音楽も書かれるという方はあまり多くないのですけれども、西洋には結構そういう方もおられます。先ほどのクセナキスがその代表でした。

●今流れている音楽に、琵琶と尺八が出てまいりました。アメリカのテキサスのフォートワースに最近造られた美術館は安藤忠雄さんが造られました。右側は直島の「地中美術館」ですね。

●「せんだいメディアテーク」は伊東豊雄さんのデザインです。伊東豊雄さんには、われわれの創造都市会議・金沢学会にも何度も来ていただいて、いろいろな楽しいお話を伺いましたが、ある種の透明な建築と言ってもいいかもしれません。「まつもと市民芸術館」も、やはり伊東豊雄さんのデザインです。

●次に、坂茂さんの「紙の資料館」は静岡にあります。坂さんも今パリでポンピドゥー・センターの分館を設計されたりして、国際的に活躍されています。
 今皆さんがお聞きになっている曲は、高橋悠治さん、現代音楽家の代表のひとりとして、ピアニストでもあられますけど。彼が10年ぐらい前に書いた「翳り」というテーマですが、コンピュータシステムのために作った曲だということです。

●坂さんの最近の作品に、ある個人の住宅があるのですが、多分どこかのコマーシャルでご覧になっているのではないかと思います。実は建築的にはものすごく大変なことをやっているものです。さて、だいぶ皆さん、ちょっとお疲れになっていると思いますので、次に移りたいと思います。

●渡辺誠さん(MAKOTO SEI WATANABE)はつくばエクスプレスの柏の葉駅ビルをデザインされました。渡辺誠さんというのは、ある意味でデジタル世代の建築家の代表かと思います。都営大江戸線の飯田橋の駅のデザイン、これも渡辺さんがやられたものです。ここに行かれた方もおられるのではないかと思います。

●それでは最後です。ご当地音楽をどうしようかなということです。
 金沢を外国人にどういうふうに、例えばイメージさせるか、ひょっとすると、何かそこからヒントが得られるかな。そして伝統と現代というのがやはりどこかでぶつかり合う必要がある。伝統工芸をやっている方たちが、現代アートから相当挑戦を受ける。あるいは現代アートの方が伝統の中から何かヒントを得る。先ほど合わせ技という言葉も出てきましたけど、そういう行為がやはり必要だということです。

●そしてもう一つ、アジアだとか文明というような、非常に長い尺度の中でもう一度私たちを見直す。残念ながら亡くなられましたけど、野村万之丞さんが、伎楽という世界にもう一度自分たちのルーツを求めようとして、彼は中央アジアの方に出かけて行ったりもしておりました。そういう趣旨でございます。

●あるいは最近、スローフードやスローライフ。これはイタリアで始まったものなのですが、ファーストに対するスローということは、何か21世紀的なヒントがそこからあるのかどうか。

●そして五感。人間というのは、今日は耳と目で皆さんにちょっと何かを考えていただいているわけですが、それ以外に触感でありますとか、嗅覚でありますとか、ほかの、われわれは五感あるいは第六感というのもあるかもしれませんけれども、それを本来はトータルに刺激するということで、私たちは何かを感じ、そして何かを考えているわけです。最後にちょっと少し柔らかいものにいきます。

【音楽】

 今皆さんお聞きになっている音楽は、実は一噌流の笛、伝統楽器なわけです。雅楽などに使われた非常に古い楽器でございますが、それを基に、今一緒になっているのはビオラやチェロなど洋風の楽器でございます。一噌幸弘さんがお書きになった「よしのぼり」というタイトルの付いた、ごく最近作曲された曲でございます。彼は、日本のあるいは東洋の楽器、彼の曲の中にはインドの太鼓が出てきたり、シタールが出てきたり、あるいは世界中のさまざまな楽器とのコラボレーションを現代風にアレンジしながら曲を作るという作業をやっております。
 このプレゼンテーションは最後に、日本というものをどういうふうにイメージしてもらったらどうかと、そして若い世代が何をしているかということの一つのプレゼンテーションとして、イタリアでも同じことをご紹介しました。

【音楽】

私のプレゼンテーションはここで終わらせていただきます。ありがとうございました。
 
(福光) では、増淵先生に早速、移っていただきたいと思います。お願いします。


 増淵敏之
 
●(増淵) 非常に興味深いお話でありました。建築と音楽というのは何かやはり、対比して考えると面白いなと。
 僕の興味の対象は、いわゆる都市空間。ある空間レベルの場の中で、音楽やいわゆるコンテンツがどのように作られているかというのが最大の関心事です。去年の創造都市会議でのご当地ソングをどうするこうするという話から、一時期真剣にご当地ソングを1曲作ろうと思っていたのです。それで当時、湘南というブランドがどうしてできたのかといったことをちょっと考えていたことがありまして、1曲作るよりも、いわゆるあるジャンルぐらいまでに、幾つかの多様性の中での群れみたいなものとして、何かプレゼンテーションできればと考えたことがありました。

●湘南というのは実際の地名としては存在していません。幻の地名ですね。しかし、どうしてこれだけ「湘南」というのがブランド化したのかというところを考えてみると、いろいろ面白いことがいっぱい出てきます。
 湘南というのは中国の湖南省洞庭湖の南岸に似ているとされて、また相模の南部に当たるためということで、そこからこの呼称が定義付けられていますが、実際どこからどこまでというのははっきりしていません。大体、大方の場合は、横須賀市の長者ヶ崎から国道134号線沿いに大磯駅前までがほぼ正統的な湘南で、それから西の方は西湘といいますが、大ざっぱに言うと小田原までを湘南と乱暴に扱っているところもありますし、それから湘南ナンバーが山側の方まで入っていきますのでそちらの方も湘南だと自己主張する方もいらっしゃったり。逆に鎌倉の人たちは、私たちは湘南とは呼ばれたくないみたいなこともあったりします。

●ただ湘南ブランドのこの勝手な一人歩きは一体何なのだろうかというと、徳冨蘆花が当時厨子に住みまして、そこで随筆を書いたという。そこでいわゆる湘南のパーツのアピールを始めたというところがきっかけらしいのです。その後、「白樺派」などが鎌倉に移住していく。鎌倉文士村というのが形成されていくわけです。
 もともと湘南というのは保養施設や別荘地です。そこでいろいろな名のある方たちが別荘を作って住んだり、松本良順さんが大磯に住んだときに、ベルツ博士の、湘南の海水浴は健康にいいぞみたいなものを自分で斟酌して、大磯を海水浴のメッカにしようとしたところから、もう一つは始まっています。

●それが交通網がだんだん、汽笛一声の新橋からずっと敷設されて、明治45年には大体今の原型みたいなところまで交通網ができます。つまり首都圏からの人の入れ込みというのは、これによってかなり多くなったと言われています。
 大磯の別荘地の写真の真ん中に伊藤博文邸があり今も残っています。その隣が大隈邸だったり。もう数々の素晴らしい、功成り上げた方ですね。一番右の上が松本良順さんです。

●それで戦後になって、いろいろな新しいコンテンツが、湘南というのを一方的に情報発信していくということになります。やがて化粧品や服飾業界などもそのイメージを利用する中で、いわゆる湘南というのは三つのイメージがあると僕は思っています。一つはいわゆるエスタブリッシュなハイソなイメージ。鎌倉を中心として逗子、葉山等々のものです。そしてもう一つは、若者のいわゆるマリンスポーツを中心としたリゾート系のトレンド。もう一つは、これはかなり大事なのですが、暴走族ですね。湘南の暴走族文化というものが、三つが重層的に走っているような気がします。

●コンテンツの数々を、昨日の夜中に思い出す限り、ばばばばーっとリストアッブしてみました。小津安二郎から始まり、「太陽の季節」「若大将シリーズ」「湘南爆走族」「稲村ジェーン」「彼女が水着にきがえたら」「タイヨウのうた」などなど。マンガは『鎌倉ものがたり』、これは『三丁目の夕日』を書いた人が書いたものです。それから『ホットロード』という80年代の少女暴走族マンガです。『SLAM DUNK』世界で1億冊売っているバスケットボールマンガ、『ピンポン』松本大洋さんの名作ですね。『海街diary』昨年度の文化庁のメディア芸術祭で賞を獲られた吉田秋生さんの作品です。小説は立原正秋の『薪能』を始めとする一連の作品、よろめき系の。それから、喜多嶋隆さんの一連の葉山もの。それから、村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』、それから今度来年大河ドラマになります、直江さんの小説を書いた火坂雅志さんの『美食探偵』。それから、真保裕一さんの『奪取』。それから、「池袋ウエストゲートパーク」の石田衣良が書いた『眠れぬ真珠』。それから、貴志祐介さんのミステリー『青の炎』、それから『邪魅の雫』京極夏彦さんのもの。それから、桜庭一樹の芥川受賞後第1作の『荒野』、これも全部湘南が舞台です。

●「麦秋」のロケ地ですね。大体このぐらいの場所を。東京と折半で撮っていますけれど、小津さんは。「東京物語」にも鎌倉のロケが入ってきます。

●「太陽の季節」のポスターです。ネットから取ったのでかなり荒れています。

●それから「稲村ジェーン」のロケ地ですが、「稲村ジェーン」も南伊豆も撮っているのですけれど、大体鎌倉周辺でロケしています。

●「タイヨウのうた」というのはソニーミュージックからデビューして、今度休業しますYUIという女性アーティストが出た映画で、テレビドラマで沢尻エリカさんがやっておられました。この「タイヨウのうた」のロケが鎌倉で、ほとんどオールロケです。

●それから『海街diary』の1作目の表紙は、鎌倉学園でしたか、鎌倉高校のところの江ノ電です。

●『SLAM DUNK』の最終回には江ノ島が見えます。

●『ピンポン』では片瀬からの江ノ島です。

●『鎌倉ものがたり』。また江ノ島です。

●『ホットロード』。また江ノ島です。 つまり、もうマンガに至っては、本当に湘南というのは江ノ島中心なのですが、これだけ大量に情報発信されているわけです。

●そして立原先生の『薪能』。これは文章をちょこちょこと昨日つまんだのですが鎌倉薪能。鎌倉のよろめき系の一つのエポックメーキングになると。

●村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』のところでは、辻堂が出てきます。

●『眠れる真珠』石田衣良さんです。これには高級住宅地があります。逗子の上の、すごい芸能人の方たちがいっぱい住んでいる、とんでもない住宅地です。

●今年サザンが活動休止になりましたので、「日経おとなのOFF “サザンの夏”をもう一度 『おとなの湘南物語』」。サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」、烏帽子岩。それからパシフィックホテル。今はないのですが、昔のパシフィックホテル。

●今年は、音楽で言うとご当地ソングとしては、ご当地アルバムですね。キマグレンの「ZUSHI」というアルバムがヒットしまして、神奈川観光大使に選ばれ、新逗子駅列車接近音に「LIFE」が採用され、紅白歌合戦が決まりました。

●そしてロックバンドで有名な、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの今年の、この前出たアルバムです。「サーフブンガクカマクラ」。1曲目「藤沢ルーザー」、2曲目「鵠沼サーフ」、3曲目「江ノ島エスカー」、4曲目「腰越クライベイビー」、5曲目「」七里ヶ浜スカイウォーク」などなど、全曲鎌倉です。
 こういうことを考えてみますと、ほかのコンテンツとも重層的に、いわゆるコンバージェンスをしていくということが非常に重要なのではないかと。ですから、音楽1曲で、仙台の「青葉城恋歌」みたいなフロックはほとんどあり得ないだろうと。そこで私たちは、藤井くんと一緒に、一番グローバルに汎用性の高いであろうと思われるローカルチャーの、テクノミュージックに手を出すことにいたしました。
 藤井くんを紹介しますと、僕が昔エフエム北海道にいた、ちょっとつらい時代があるのですけれど、そのときに入ってきたのですね、エフエム北海道に。そして僕が東京に出奔しまして東芝EMIに行ったのです。すると藤井くんは、その翌年か翌々年にソニーミュージックに行って、そして1年後に僕がソニーミュージックに移るという。何かずっと一緒に、よく分からないことをやっている感じがいたします。
 それで、テクノミュージックというのは何か。これはなかなか、YMOとか、今でいうPerfumeなどはよく「テクノです」などという話になりますが、実は、幅はかなり広いのです。今はデトロイト・テクノですね。今はデトロイト発祥のエレクトリック・ダンス・ミュージックというのが、大体テクノのおへそです。それで、いわゆるシンセサイザーを取り入れた音楽全般、YMOやクラフトワークなど、そういうものも一応、その領域に入れるという形です。ただ、このジャンルというのは境界線がもうあいまいで、誰かがこれはこれだと言ったら大体そういうふうになってしまうということです。ハウスもかなりボーダレスなのですが、どちらかというとボーカルで入るものを称して大体ハウスと言うような、一般的な傾向があります。今お聞きになっているのが、一番有名なテクノの楽曲でございます。

●歴史的には、80年代にこのコアになるデトロイトテクノが誕生して、それがさまざまな形で広がっていくということです。

●テクノのジャンルというのは、今言ったようにデトロイト・テクノというのが中心にありますが、いろいろ細かく分かれているわけです。ミニマル・テクノというのがありまして、これが最もテクノらしい。リズムマシーンの四つ打ちビート中心です。
 次はハッピー・テクノです。ハッピー系というものです。これも、ドラマチックな展開と親しみやすいメロディーを乗せていくところに特徴があったりいたします。
 そしてブレイクビートです。これはサンプラーを使って既存のビートを分解した上で再構築するという、いわゆる著作権ご法度みたいな手法でございますが、テクノの分野でもブレイクビートを取り入れたものが非常に注目されております。その中にはビッグ・ビートという呼ばれ方をするものもあるということです。これはドラムベースです。今、お聞きいただくと分かると思いますけれど、ブレイクビーツから始まって。ちょっとリズムが早いです。
 アンビエントはちょっと静かな、環境音楽にちょっとテイストが近いものです。割と年配の方もゆったりと聞ける、珍しいテクノです。

●そして、日本ではやはりYMOという存在というのは非常に大きいです。特に、ハイテク産業の日本としましては、いわゆるテクノというところが当時そういう位置付けでもあったわけです。特に日本らしい、電子楽器を使った音楽というところです。ところが後世、その後いろいろなポップミュージシャンに、このYMOというのは大きな影響を与えて、今に至っているという感じです。電気グルーヴなどはテクノのアーティストですけれども、やはりYMOの影響を受けていると本人たちも言っております。
 現在は、ケン・イシイさんという世界的なアーティストがいるのです。日本でもう一番有名なポップミュージシャンではないでしょうか。そのマネジメントを藤井くんが今やっています。ケンさんは世界を股にかけて、1年の3分の1ぐらい海外でやっているのかな。これがケンさんの曲ですね。筑波大学付属駒場中学校 から一橋へ進み、そこから電通に入社してミュージシャンになるという珍しい方であります。
 取りあえず曲を作ってみました。デモなので、時間が2カ月ぐらいしかなかったので、音源として三味線があって、お題が三味線を入れるということ。それと、1曲映像をかぶせられるものを作るのと、それから「千の風になって」のようなメロディックなものをテクノで仕上げるという、これは最大の山場でしたが、それをちょっとやってみました。あとは藤井くんの方で説明をしてもらえれば。



 

 藤井克仁
 
● はい、藤井と申します。よろしくお願いします。ここの学会の会場で、こんなことをやってしまっていいのですかという感じなのですが。ご当地ソングでテクノというのを初めて聞いたときに、「大丈夫かな」というふうにちょっと思いました。
 本当にそういうアプローチでやられているような地域というのは、僕の知っている範疇では聞いたことがないですし、「じゃあやってみましょう、面白そうですね」というところで。ちょっと言い訳のようになりますが、すべてデモレベルのものです。とは言ってもPublic mindというアーティストにせよ、7th Gateというアーティストにせよ、それぞれ海外からもリリースしているアーティストで、7th Gateに関してはもう10年以上前に海外からリリースしているので、ケン・イシイと変わらないような形で活動して。まだいまだに30代前半なので、割と若い創成期の時代にテクノにもうかかわったようなアーティストにお願いしてやってもらいました。
 それも、テーマというか、「何かモチーフになるものがありませんか」というふうにお願いしたところ、金沢の方から「金沢ひがしお座敷太鼓」というCDと、「金沢にし芸どころ」というCDが2枚送られてきました。この中から、何か抜いて作ってくださいというか、自分たちで録音してもいいのですけれどというところだったのですが、さすがに金沢の方のそういう伝統的な方をお呼びするわけにも、予算的にもちょっとないですので、この中からいろいろ抜かせていただいて、サンプリングさせていただいて作りました。映像と合わせたものは、後ほど見ていただきます。
(以下スライド併用)

●田中花乃さんという作詞家の方です。この方にも一応、夜行バスで金沢の方に1泊で来ていただきまして、金沢の町自体を見ていただいて、作詞していただきました。彼女もケミストリーやSPEEDというポップアーティストの作品をやられている方です。彼女の中では水というものに、やはり何か感じるものがあったということなので、それをテーマに作っております。また後ほど、歌詞も見ていただければと思います。
 映像の方の話をちょっと。忘れてしまいましたが、デモソング2の方で、楽曲とともについていく映像ですが、これも金沢のDVD、こちらの方が作ったDVDだと思うのですが、クラシック音楽と金沢の有名な四季の映像みたいなものをハイビジョンで撮ってあるもの、この中からだけで新しい映像を作りました。このアーティストに関して言いますと、普段はクラブとか、3000人はいるようなクラブでのVJというか、こういう音楽に合わせて映像を流したりすることもやっていますし、実験的なアート活動というか、そういうインタラクティブな感じの映像を取り出すアート活動なども行っている人に依頼してみて、作ってきました。
 一応、テクノはどんなものかというか、どういうようなことなのかというのをちょっとやってみようとは思うのですが、皆さんご着席の状態でどこまで間が持つのかなという不安で、こっちから見ていると、観客が結構黒いものがわーっというような感じに見えていて、かなりきついのですが、一応やってみます。すみません、一番くだけた人間が、ちょっとくだけた感じでやらせていただきます。

【音楽】

 これもデトロイト・テクノというテクノの一番有名な曲で、テレビなどでもよく使われている曲なので、ご存じの方ももしかしたらいるかもしれません。

【音楽】

 この音楽はオバマさんのスピーチをそのままサンプリングして。もう既にネットに上げられていて、そこからリンクを張ったものです。

【音楽】

 この音楽は1曲目のデモソングと書いている、「金沢」という言葉と「百万石」という言葉をこのCDから抜かせていただきまして、ちょっと作ってみました。かなりベタですが、インパクトはあるかなというところで。

【音楽】

 次ですが、歌のあるものを2曲、二つのバージョンを作ってみました。先ほど増淵さんの説明をしてくれたとおり、テクノにはいろいろバリエーションがあります。僕らがテクノにかかわり始めたときに持っていたイメージ、あるいは、最初に始めた人たちは、テクノというのは自由な音楽だと言われていました。何か一つ、取っ掛かりやモチーフみたいなものがあれば、それを自由に自分たちのテイストで味付けをして外に出せるというようなところが、割とテクノのいいところというか。あまりAメロがあってBメロがあってサビがあってとか、そういうものにとらわれないのにもかかわらず、人を楽しく盛り上げていけるというところにメリットがあるのかなというふうに思っております。
 まずは、7th Gateが作った方の、ちょっと緩やかなバージョン。先ほど言っておりました、アンビエントにもしかしたら近いのかなというようなバージョンをちょっとお聞かせしたいと思います。

【音楽】

 1曲はこういう感じに、ゆったりした感じの、ちょっと「千の風になって」を意識して作ってもらいました。なかなかいい曲だと思うのですが、いかがでしょうか。
 それで、先ほどの汎用性という部分のところですが、全く同じ歌詞で、全く同じメロディーですけれど、もうちょっと違うふうに作ったらどんなふうになるのかというのも、一応やってみました。

【音楽】

 時間がないので、こんな感じです。これは、Public mindというアーティストに作ってもらったものなのですけれども。アーティストが違うとここまで、いろいろ解釈も違うし、あるいはオーダーによっていろいろ、同じ曲もここまで変え得ることができるということで、何か一つを作りだして、いろいろな形でこういうふうに作ってもらって遊ぶというのも一つの手なのかなと思います。
 では最後に、映像とデモソング2のところです。映像と合わせた感じで。これも先ほどの二つのCDから抜いただけの、三味線や、あとちょっとした歌みたいなものと映像を合わせたものを最後に見ていただくというところで。よろしくお願いします。

【音楽】

 このような感じです。ぜひ、金沢のCMにどうぞといった感じのものになりました。さき程合わせ技というキーワードがありましたが、そういう感じでは、テクノは非常に、いかようにでもというところができますので、ぜひ一緒にできればなと思っております。増淵さん、お願いします。

(増淵) 取りあえず、作ってみました。ただ、音楽というのは基本的に、宿木なのですね。何か大きな幹がないと、音楽だけではなかなか浸透しない。音楽というのは見えないから、刷り込まなければいけないのですね、作業、人の意識の中に。そうするとリアルに見えたり、触れたりするものとのコンバージェンスみたいなことを考えていかなければいけないのですが、中でもテクノが、そういう意味で一番汎用性が高い。どういう形でも変化できるという、今、現代では日本が世界に誇れる1ジャンルでであるかもしれないなということで、以上です。

(福光) 時間管理上、ちょっと延長します。せっかくなので、円卓の皆さんだけになりましたけれど、一言ずつざっと、率直に、何でもいいので。秋元館長からいきますか。

(秋元) では、もう短く。面白いプレゼンテーションだったし、想像していた以上に、テクノというのはすごい可能性があるのだなというのと、多分、プロデュースというかアレンジを含めて、やはり力のある人なのだろうなと思いました。非常に楽しかったです。

(紙谷) 金沢青年会議所の紙谷と申します。一言で言うと、かっこいいなというのが感想でした。これは年代によってはすごく反発する可能性もあるなというふうに感じましたし、これが創造かなというふうに感じました。以上でございます。

(水野雅男) 水野雅男です。すごく面白いなと思いました。やはりいろいろな素材があって、それをうまくアレンジしている、再編集しているのがすごく面白いと思いました。それだけ金沢にそういう素材があるということだと思いますし、町づくりというか都市をつくる上で、このような試みをぜひやってほしいなと。漠然とですが、そう思いました。

(佐々木) 私は本当に楽しく見させていただきました。例えば映画とサウンドトラックみたいな、切っても切り離せないように、先ほど増淵先生もおっしゃいましたよね。見ると聞くの刷り込みが、やり方によっては、ある意味どうにでもなると。金沢の町の、先ほどの大内先生のプレゼンの、邦楽でも合うわけですし、こういうものもまた、作り方によってはすごく合うのだなということを、本当に実感させていただきました。ありがとうございました。

(山口) 山口裕美です。多分この会場の中では、テクノを聞いている方の人間なので、絶対言わなければいけないと思うのですが、今演奏してもらったものはテクノの中でも非常に優れたものだと思っています。去年、実はイベントがあって、もっと早くに藤井さんと知り合っていればなあと、そう思っております。

(伊東) 伊東史子です。ジュエリーの作業をするというか、職人作業をするとき、特にやすりをかけるときに、リズム・アンド・ブルースで仕事をしていたので、職人のバックグラウンドミュージックとしても、ある一定のモードに入って、脳内麻薬ではないですが、そういう意味ではとても刺激的でした。ありがとうございます。

(黒川) 黒川雅之です。最初は一体どうなるのだろうと。およそ金沢とは正反対のイメージでしたので、だから破壊的に侵入してくるなと思って聞いていたのですが、次第次第に映像が出てくると、逆に具体的な金沢の町をぶった切って、このテクノの方に逆に合わせてきたものですから、「あ、馴染んじゃった」という、そんな心境でいます。とてもいい音楽ですね。大好きです。

(水野一郎) 水野です。私は全く音楽音痴だから、評価できません。分からない。ただ、中に詩が出てきましたね。夜行バスで来て作った詩にしては、めちゃくちゃいいなあと思って、びっくりしました。

(宮田) 宮田です。音楽なので好き嫌いはあると思いますので、こういうのもあってもいいし、伝統的なものがあってもいいと思います。
 僕も今年、たまたま福光屋さんのお仕事でCMを作らせていただいて。こういった伝統的な音楽を今風にして、金沢をCGでやったりというのでやったのですけれども、非常に難しかったと思うのですが、すごいかっこよかったと思います。お疲れさまでした。
(大内) 今日は、最初に風の話があって、「金沢風雅」から始まったのですが、風雅もいいけどテクノもいいなという感じですね。それで、増淵さんは、今日は遠回りして、湘南から始めて。そしたらいきなりオバマの話になって「いや福井県じゃないんだけどな、ここは」と思いながら、やっと金沢へきたのだけれど。やはり、編集の力というのはすごいですね。こういう素材がたくさんある、つまり非常に多様なものを持っている町というのを新しい角度で再編集していくというのが、そういう意味ではもっともっといろいろなテクノの人に、金沢を素材に作ってもらったら、とても面白いなと思いました。

(米沢) 米沢です。過去の金沢学会のワークショップの中でも、本当に面白いワークショップの一つだと思いましたし、本当のプロが集まると、本当にいい素材が本当に生きるのだなということを改めて発見させてもらいました。ありがとうございました。

(福光) 明日また、議論の中に入れていただきたいと思います。もともと、民族音楽の中のビートみたいなものは、今思えばテクノが強調してくれているだけであって、脈絡が完全につながっているなと思いました。要するに、邦楽がきれいに洗練されていったときに置いていったものというのは、もうちょっと民族派のものがある。その辺をやはり、テクノにするとすごく、お祭りのような感じで出してもらえるので、金沢にやはり、ああいう躍動感みたいなものがないといけないのだろうと思います。JC理事長あたりにかっこいいと言ってもらえないとまた困ったのですが、言ってくれたので良かったです。
 第1セッション、増淵さん、藤井さん、大内さん、ありがとうございました。拍手を。

 

  
「水の音色」

作詞:田中花乃  作曲:斉藤“Jake”慎吾
 
<1番>
心に 時を感じるのは 
浅野川が 寄り添うから 
空と水面に映し出す 
青空に包まれて
私達は 何かを守ろうとばかりするけれど 
線を書けば 滲むだけさ 無限に羽ばたいてく

流るる 流るる 水の音色(メロディー)
柔らかさの上に 描く未来

<2番>
心に 鼓動感じるのは 
ガラスの城と金沢城 
向かい合わせに呼吸をして 
時代を響かすよ
私達は 皆 “新しいもの”ばかり探すけど 
辰巳用水は唄うかのように 今も 過去を語る

流るる 流るる 水の音色(メロディー)
尊さ 故に 泪混じり

<3番>
心に 川を感じるのは 
あなたが ほら 寄り添うから
境花の道を行く足音 季節ごとに変わる
私達は ここで生まれた想いを 届けるよ 
ゆらり 揺れる 胸の雫 広い 世界中へ

流るる 流るる 水の音色(メロディー)
あたたかさの上に 描く未来

流るる 流るる 水の音色(メロディー)
柔らかさの上に 築く未来
 

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