全体会議 | |||||||||
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福光●皆さんおはようございます。昨日の内容は北國新聞朝刊にも抄録を載せていただいておりますので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。冒頭にきのうの復習をやりすが、それも含めて、議論にご参加いただければと思います。どうぞよろしくお願いします。 |
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![]() 佐々木雅幸 ●おはようございます。きのうから大変内容の濃い会議要旨できまして、ちょっと今日は角度を変えて、創造都市に関しての世界的な動きなどについてお話をしたいと思います。(以下、映像で説明)少し年表風にしてみますと、こういうふうになっています。 まあ、手前味噌ですが、私、1997年に「創造都市の経済学」という本を出して、これに金沢のことを書いたのですが、この前後に金沢では世界工芸都市会議が行われ、新設された市民芸術村でやりました。世界工芸都市宣言は1995年だったと思いますが、この流れが貴重だったと思います。そして99年の3月に、金沢創造都市プレ会議が始まりました。私がボローニャの留学から戻りましてから、「創造都市への挑戦」という本を出しましたが、その年に第1回目の創造都市会議を開催することとなりました。そして第2回が金沢学会であります。ちょうどこの時期に、世界でジャル・ブランドリーというイギリス人とリチャード・フロリダというアメリカ人が、それぞれ、欧州、アメリカを中心とした、創造都市に関する本を書きまして、大変話題になったわけであります。 これを受けてユネスコが2004年に「創造都市ネットワーク」というものを提唱いたします。 横浜市は創造都市推進課という部署を市役所に置きまして、金沢の後を追いかけるかたちで、創造都市に突き進む。そして、大阪市が翌年、戦略を策定する、札幌市が創造都市宣言を行う。そして昨年、名古屋市、神戸市がユネスコのデザイン部門の申請を行うということになり、2008年に世界創造都市フォーラムを金沢で開催し、10月29日に市長さんがユネスコに行かれて申請をする。これに前後して、名古屋と神戸がアジアで最初のユネスコ創造デザイン都市として認定されると、こういうふうな流れがあると思います。 よく言うことですが、世界都市と言う言葉から、創造都市へという非常に大きな時代の転換がありました。創造都市という・・これは私の定義ですが、様々に定義されてひろがっております。そしてその共通点というのは知識・情報・経済の時代に入って、創造性というのが社会を動かす大きなエネルギーとなってきたということがあります。 イギリスでは「クリエイティブ・ロンドン」という形でロンドンがニューヨークを、しのぐ勢いになってきているわけであります。「沸騰する都市ロンドン」アメリカではリチャード・フロリダという方が、ゲイが集まる街が創造的だという非常におもしろい説を出しした。例えば、サンフランシスコなどが創造都市の代表である。同じようにバルセロナなどなどがあるいうことであります。 ユネスコは2004年に、このどういう考え方でネットワークを始めたか。グローバル化というのはプラス面だけではなく、マイナスの面もある。例えば、金融中心に行き過ぎた、市場経済化が進むということが、文化面に悪い影響を与えるのではないか。特に力の弱い国の文化がなくなったり、伝統工芸や言語が、どんどん減っていくということに、大変危惧をいたしまして、グローバル化の中でも文化の多様性を世界的に確保しなければならない。生物多様性という言葉がありますが、文化多様性を広げようというのが、創造都市ネットワークの基礎にあります。2005年に文化多様性条約というのが批准されるということになります。このなかに様々に創造都市として認定をしていく。 こうした時に、ユネスコは7つのジャンルを指定しまして、そのジャンルで都市を認定するということになったわけであります。例えばスコットランドのエディンバラは文学で、イタリアのボローニャは音楽で、ドイツのベルリンがデザインなどなど、こういう形であります。そしてサンタフェとアスワンはフォークアートと書いてありますが、このフォークアートのジャンルの中に、今年になってから「クラフト」というジャンルが新たに付け加わりました。そしてその1つが独自のジャンルとなりまして、現在、金沢市は「クラフト」日本語でいえば、「工芸」ということになりますが、この分野で手を挙げた最初の都市だということになっております。 例えば、今年の金沢の創造都市世界創造都市フォーラムに、ユネスコの都市として3つの都市を招いたのですが、例えばベルリンという都市を挙げてみますと、ここは東西ベルリンの合併後、旧東ベルリンが大変落ち込んでいるので、そこを1つに統合していきたい。それから街の古いビルの一角に若いデザイナーがいっぱい集まってきている。非常に活動しやすいし、ある意味、旧社会主義と資本主義という2つの体制の、はざまにあって、非常にカオスのようなものが、創造性を刺激するということで、このデザイン分野で新しいベルリンの新しい経済的なエンジンを作りたいと。ベルリンの場合、デザイン産業を振興するという強い方向性が出ておりますしので、そのために若いデザイナーが住みやすいように、スペースをどんどん提供する、あるいは小さいビジネスが立ち上がりやすいコーディネーションを行政が積極的にやるということをやっております。 それから、サンタフェというアメリカの都市ですが。ここは小さな街です。ボローニャも小さい街ですけれども非常に大きなアートマーケットがある。もともと、クエブルインディアンがいたということもあって、様々なフォークアートから現代アートまで、非常に大きなギャラリーや美術館があり、アーティストが活動しやすいという条件があって、ベルリンほど大きな都市ではないので、積極的に他の都市からお客を招いていく。 その時、「クリエイティブツーリズム」という考え方を提唱しておりまして、クリエイティブな体験や感動を軸にしたツーリズムだと。それは例えば、アーティストやデザイナーの交流であったり、一般市民ですけれども、マスツーリズムではなくクリエイティブツーリズムを提唱しまして、今年の9月に世界的な会議をやり、ぜひ、この場に金沢も、その中に入って欲しいということになりました。 金沢がユネスコの創造都市に認定された場合、同じジャンルで近い都市と仲よくしていきたいということがありますので、このサンタフェの提唱はというのは意味があるというふうに思っております。 それから、これは私の留学先であったボローニャでありますが。このボローニャがやはり音楽を軸にして創造都市になったのですけれども、これは単に音楽だけの都市ではないということで、やはり職人を軸にした創造的モノづくりで、黒川紀章さんが翻訳された、ジェン・ジェンコブズの書いた本があるのですけれども、ジェン・ジェンコブズが言っている創造都市というのが、このボローニャなのですね。ボローニャは、職人が主体の経済だと。様々なジュエリーだとかバイオリンとかフォトグラフだとか職人がいますが、あわせてドゥカティだとかフェラーリの街なのですね。そういう先端的なモノづくりも部品1点、1点を職人が作っていく。こういう街だと。一方でおもしろいのは、ホームレスも組合を作って色々リサイクル工房をやっているといったようなこともあります。ボローニャでは文化的観光都市としての地位を確立する。文化の生産と創造的発展だと、こんような形でユネスコ創造都市に向かっているわけです。 こういう流れの中で、御承知の通り金沢で様々な取組みがありまして、街並み保存があり、伝統景観をきちっと守りながら、同時に、職人型の産業を育成して・・・これは私、福光さんと考えたのですが、文化を産業に生かす、文化的生産モデルというものを、もっと具体化していきたいと考えています。 今回、ユネスコの申請には、金沢が、文化と経済が非常に仲良く発展している街だということを第一に打ちだして、ここが評価されるかどうかだろうと思っております。それこそ、大量生産を超えた、きのうの黒川雅之さんのお話にありましたように、中世の工芸的生産から、近代の大量生産、そして現代はもう一度文化的生産という、まあこれは1品生産ということになるかと思いますが、文化的付加価値の高いモノづくりができる街へということがそうした流れだろうと。それで、芸術村では、世界工芸都市会議を開催してきた経緯があり、世界工芸コンペなどもやはり、市長さんと一緒にボローニャでフラットバスに乗り色んなことをしたのですが、こういう流れをさらに強めていくことになってこようかと思います。 ここで、横浜のことに触れますと、横浜が金沢に比べておもしろいのは、行政の中に文化芸術都市創造事業本部を置きまして、創造都市推進課という部署を置いたことです。行政としては大変スピードが出るということでして、金沢市も今後どうされるか、ということがあろうかと思います。シンボルデュオとしては、銀行でアート活動をするという、非常に矛盾した概念ですけれども、これがまた大変話題になったということであります。 これからの創造都市に向けてということですが、やはり工芸文化で最初のユネスコの都市になりますので、金沢が世界で様々な分野に働きかけていくことが必要なので、伝統工芸の保存、再生も大事だけれども、現代の工芸ということを金沢から提案していく。そして工芸を軸とした、国際交流があるます。 それからやはり、アジアの創造都市という場合に、アジア的な価値とは何か。例えば、環境調和型ということが一言で言えるかと思います。ユネスコが金沢に期待しているのは、アジアの途上国に工芸とか様々な、最新のテクノロジーを積極的に伝えていくという役割。それから、一番ポイントとなるのが、創造都市のネットワークが、どんどん広がりますので、そこと、どのようにお付き合いしていくのか、ということが大事であろうと思います。クリエイティブツーリズムという考え方は、金沢にぴったりかなと思うんですね。この創造的な体験、今の経験価値ということが、経済学でも言うようなりました。経験とか体験という事を、前に打ち出していって、一般市民やアーティスト、工芸作家が交流していきながら、そこでアートマーケットというものをどのように作っていく。金沢におけるアートの価値が、あるいは工芸の価値が、確立してくるとしたら、そういった中からだろうと。ちょっとこれは、写真が写っておりますけれども、こういうことで、私は写真を写しておりましたので、これから1年後ぐらいには認定はおりるのではないかと思います。どうもありがとうございます。(拍手) 今回、市長さんに、ユネスコの創造都市に申請されるという背景というか、きっかけについてお話いただきます。 ![]() 山出市長 ●今日も、ご遠方からも先生方にお越しいただきまして、感謝を申し上げたいと思います。 創造都市会議というのは、2001年に作られて、かれこれこれ7年経ったわけであります。最初の時は、僕は何のことか分かりませんでした。毎回呼ばれますけれども、だいたい文化に縁遠い市長が、こんなところ来て発言をさせられることの辛さ、こういうことを思って、ずっと来ているのですが、まあ、大きい視点からいえば、識者が金沢に集まってくださって、わいわいがやがや、言ってくださる。その中から、奇をてらっちゃいかんけれども、基本の土性骨の座ったような物が出てきたら大変ありがたいなという思いを持ちながら、毎回出席させていただいた次第なのであります。 7年経ちまして、先般、佐々木先生にお供させていただく形でユネスコに行ってまいりまして、やっと少し前に出たかなという感じを率直にもっております。世界が少し近づいたかなというふうな思いであります。 私にしますと、今、創造都市という言葉を一般の市民の皆さんにどうやって分かりやすく、お話できるのかと。僕自身もそんなに深い研究をしているわけではございませんし、しかし、私よりも、もっと、日常の市民の皆さんに分かりやすく説明する時には、どういう表現をしたらいいのか。これは、やっぱり、市長として外で話をする時に一番気になる事であります。どういう言い方をしているかといいますと、実は、左手を挙げて、創造的文化活動というものがなきゃいかん。右手を挙げて、片方、革新的な産業活動がなきゃいかん。この2つが連関をして、そして連関の結果として街が元気になったよ。そういう都市を私は創造都市と言っているのだろうと思っています。こういう言い方をしています。 今度、ヨーロッパに行きまして、創造都市ということは、案外知られているなという体験をしました。こっけいに感じられるでしょうけれども、ソルボンヌ大学に行きまして、サークエ教授と話をしましたら、創造都市と言う言葉が、さっと出てきまして、私に学生に創造都市についても話をしてほしいと。文化的活動と、片方に経済活動と連関して結果として街が元気になって。その都市が創造都市と呼ばれていて。ユネスコはこの創造都市をつくって、ネットワークを組んで、そのネットワークを組むことで文化の多様性を実現したい。そして文化の多様性を実現することで、世界の平和に貢献したいのだと。そういう考え方で創造都市ということが言われているのです。ということを、僕は一般の市民に分かりやすく言わなきゃいけないと思っているのです。 そして創造的文化活動という時の文化に、ジャンルが7つあるのですよと。音楽であったり、映画であったり、デザインであったり、クラフトであったりするのですよと。我々金沢はその中で、クラフトで創造都市のネットワークの仲間入りをしたいと、こういうことを申し上げているのです。こう言っているのであります。金沢がクラフトでということは、私は実は佐々木先生とお話することがありまして、佐々木先生から「市長どうだろう。デザインというよりも、クラフトがいいのではないか」というご提案がありまして、私は即座に「先生それや」と。こういうご返事をしたことは事実なのであります。 今、日本で2つ、仲間入りをしました、神戸と名古屋はデザインです。私はきっとその次、横浜もデザインで行くだろうなと想像しています。そうすると、私どもは、世界でクラフトを申請したところは無いですし、しかも金沢のクラフトの内容というものは多様ですから、これは大変おもしろいと。創造都市推進委員会を立ち上げまして、福光さんが委員長で、そして佐々木先生が副委員長で、そしてこのメンバーには工芸の皆さん、大樋先生なんかも入ってくださっておるんですが、ここで色んな議論をしてまいりまして、申請書を作り上げた。かなり時間を掛けてきましたし、私はいいものができ上がったはずだというふうに思っています。 今、写真でもお見せしました通り、この申請書そのものも、二俣和紙を使いまして、そしてちょっと右肩に水引を入れて、まあ、あんなこともして、少しでも関心をひいてやろうと下司な考え方もして、そして先生と一緒に松浦局長にお渡しをしてきたということなのであります。松浦さんは、世界のユネスコの事務局長でございます。そのほかに日本のユネスコの事務局もありますし、フランスのユネスコの事務局もありまして。近い所にあるのですが、その二つにも顔を出しました。日本のユネスコ大使は外務省出身の山本さんで、金沢にお越しになったこともあります。フランスのユネスコ大使は、コロナさんとおっしゃるんです。この人にもお会いができました。そしてお三方とも、応援をいたしましょうという表現をいただきました。 今、先生のお話もありましたけれども、これから審査がはじまります。これからの審査の結果を待ちたい。本当にそう思っております。私にとりますと、経済界と一体となって、今日まで進めてきておることということも、これ大事なことなのでありまして、文化活動や、革新的な産業活動が必要なんだということもありますから、経済界との関わりということも、有力な条件であり、そういった関わりが求められわけでございます。 ちょうど今年の4月に国連大学のオペレーティングユニットというものが、金沢市にできました。県と市で作ったのですが、その活動というものと、これからの創造都市の営みというものが、うまく絡まっていったら大変良いというふうに思っております。 とりあえず、これだけのことを申し上げておいて、後、またお話を承りたいとこう思っています。また先生方のお力添えをお願いしたいと思う次第です。(拍手) 佐々木●ちょうど昨年の創造都市会議の後で、市長さんと色々お話をしている中で、ユネスコのこの大きな流れに、ぜひ金沢市も加わっていこうと。こういう強い要請があって、そこで7つのジャンルがあるものですから、どこにどういうふうに提案していくかということが、一番難しい問題でしたが、結局今年に入って、工芸(クラフト)が新たに加わりましたので、私は元々、金沢にとって工芸とはシンボル的にも、金沢の街のたたずまいからしても、意味があると。漢字で「工芸」と書くときに、工業の論理と、芸術の論理と、両方が矛盾しているものがくっついているわけですよね。これ言い換えますと、経済的価値と文化的価値、これをどういうふうに作品の中に融合していくか問題なのですけれども、ずっとこの街の中でせめぎ合っているというか、だからこそ金沢は工芸で提案していくっていうのが、非常に説得力があるのではないか、こう考えたのですけれども。 きのうから、ジュエリーとか様々な伝統工芸というものを現代的に再評価していく、あるいはそれをプロダクションのシステムに乗せていくという議論が行われてきたわけですけれども、さらにそのあたりを突っ込んで皆さん方と、きのうもう一度、言い足りなかったこととか、あるいはきのうの討論の中から、インスピレーションの沸いたことがありましたら、ぜひお話いただきたいと思いまして。実は、水野先生は、きのうずっと聞き役で疲れたと。ぜひ俺にしゃべらせろと。こういうふうに言っておられましたので口火を切っていただこうと思います。よろしくお願いします。 |
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