■全体会議「都心の総括」 |
チェアマン 佐々木雅幸
パネラー 荒川哲生、川勝平太、竹村真一、田中優子、野村万之丞、松岡正剛、
金森千榮子、水野一郎、米沢寛 |
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●米沢 私は金沢に帰って17〜18年まちづくりをやっていまして、自分にノウハウがあるのかなと錯覚していたのが見事にうちくだかれました。科学技術や情報技術の発達というのは、やっぱりもうHowが通
用しない、やはりWhatから考えるしかないと、まさにそのとおりだなと実感いたしました。
現実に今、私は新交通システムを導入の可能性をやってますけれども、その交通 システム導入の一つの単位として環境があったわけですが、現実に車のエンジンが近いうちに変わるとすれば、その環境からの切り口というのはなくなるわけです。そういう意味では、やはりそういう切り口で交通
システムを考えるのではなくて、やはり先程おっしゃったようにここに住んでいる地域住民がどのような町にしようとか、どのように町をデザインしようかということを選択する、そういう方法をとらなくてはいけない。しかし、現実にやっている者とすれば住民形成というのは一番難しいところですが、それもインターネットという、これもやはり科学技術ですが、それを使うと今まで発言しなかった方が中途半端な発言でもいろいろなそれに付け足してくれます。そういう意味では、今までにない皆さんの気持ちなどわかって、総論反対とか、総論賛成ということではなくて、何とか市民形成まで持っていけるようになるのではないかということを十分わからせていただいたということが私にとってはよかったです。
もう一つは、情報技術の問題で「空中ポストイット」ということも言われました。それも非常におもしろいと思います。この金沢の町にそれぞれの歴史を持ったものとかストーリーを持ったものがたくさんある。そこにいろいろな空中の「ポストイット」を付けて、それぞれ携帯電話の端末になるとすれば、それに近づくとその場所その場所でその場所のストーリーなり、歴史なりいろいろなものが見えてくる、説明が聞ける。これは情報があふれている時代だけれども、金沢でしかというか、そこに来ないと見えない情報が入る。それが非常におもしろい。とすれば、金沢にはいろいろなところにいろいろなものがたくさんありますから、町中を博物館にできる可能性もある。なるほどそうすると昔僕ら「伝(転)承」ということで、古いものを形そのままで中身を新しくと言っていましたが、それ以上にひょっとしたらその技術を使えばもっとおもしろい空間、町全体をそういう空間にできる。
そういう意味では、金沢にもいろいろなところにいろいろなものがたくさんあるので非常におもしろい試みになるかなと、そういうことも教えていただきました。非常におもしろかったです。
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●野村 私が一番感じるのですが、例えば教会や何かを新しい劇場にするというのは、一番有名なところでいうとピーター・ブルックがブフディノールというのをフランスに劇場を持っていて、これを継続事業としてやるのです。あるいは、アリアンヌ・ムニュースキンというのが兵倉庫、カリテュシュリを芝居小屋にする。私自身もミラノのビアチューザレコレンティというところに教会があって、そこで2年ほどアルセナーレ劇場というのを経営したことがあるのです。でも、だめでした。なぜだめだったかというと、その劇場に合わせてアーティストが劇場空間と対話しながら、今、優子さんがおっしゃったように美術展をやったりシアトリカルなことをやっているのですが、結局、二つの点でだめなのです。
一つは、そこ以外ではできないのです。そこ以外ではできないということは、その町やそのパトロネージュする人たちがそのことを徹底的に応援して、背骨になってあげないと続かないということなのです。そうすると、そのアーティストを次に持っていこうとすると自費で努力して持っていかなければならない。今度、どういうことをし始めるかというと、劇場とも対話しない。キログラムと対話するのです。おまえの芝居は20キロで作れとか。なぜ、20キロかというと、飛行機代がエクセスが20キロ以上だとかかるのです。僕らが勉強していたときには、20キロのカバンの中で『オイディプス』をやりなさい。それができるのがすばらしい演出家であり、いい役者であると。そのように今度はキログラムとおまえは対話をしろということになる。
例えば、銀行を劇場にするとか、教会を劇場にしてその町で活性化をすることは非常にいいことなのですが、それなりのバックアップシステム、その芸術家たちが腐らないだけのバックアップシステムを持たないと机上の論で終わるのです。そうでないと結局、私もそうですが、芝居をつくるときには文化会館とか文化センターとか、文化のないようなところにしか建たないような多目的ホールというのに合わせたつくり方をしなくてはいけない。私の経験だと文化ホールでやるのはいやだ。では同じかたちを持っているものは何かといえば、寺と神社です。神社というのは同じ形態ですから。ですから神社で野外でやれれば、どの神社へ行っても同じだとか、どこの寺へ行っても大体回廊の形は同じだとかという、グローバルとは言いませんが、何か共有性を持っているものでありながら固有性を持った状況にしないと、ただ独特というつくり方をすると成立しない。これは一点思いました。
それから竹村さんは大変にすごいことをおっしゃっています。ワークウェアというものを、では、金沢の市民が金沢の芸術村でできるのかといったときに、天から謡が降ってくるとか、三味線はどうだこうだと言っているのですが、結局、それはごく一部の人なのです。去年、国民文化祭のプロデューサーをやったのですが、国民文化祭は別
名「大人の学芸会」というのです。そこの全日空ホテルの下に建っているのを見て、ああここも学芸会の会場になるのだろうと、上からずっと見ていて、○○流だ、○○流だと鼓を打ち合って、三味線を弾いて、どんどん日本舞踊が追い出されて、新舞踊が「ぱっとさいでりあ」がどんどん増えてくるわけです。そういう状況で競い合いの小芝居というものが生まれてくるのだろうと思います。
そうすると、今までの事例をアメリカやヨーロッパに求めても、アメリカの歴史は200年しかないのです。僕の家ですら300 年あるわけです。とすると、金沢は500
年や1000年の歴史を持っているので、もうそろそろ欧米傾向主義のようなことはやめて、オリエンタルドラマツルギーとでも言うのでしょうか。先程言ったワークウェアで、子どもたちに今いった「ねじる」とか「踏む」とか、そういうもっとアンソロジー的なことを教える機関とかが先なのではないかという気が、非常に劇場の場合にはします。だから、僕は演劇という言葉は一番嫌いです。演劇というと、演劇の世界にいますが、すごく狭い。しかも、すごく文学中心の、文章をいじくりまわして、さも芸術をしているというような、何かこんにゃくでも投げてやりたいという気になるような、そういうことの渦潮の中にいて進まない。これは現場最前線にいる人間としては、いいかげんにしないとそのうち腐ってだれもしなくなるぞというふうに思うわけです。
芸術村には伺いましたが、芸術村の使い方を非常にうまく使っていらっしゃるとは思うのですが、その次に出られない理由というのはあれと同じケースが全国のどこかにあったりする。それをどこまで行政や民間が支えていこうかという、いわばビジョンがないのです。ピーター・ブルックという人とアリアンヌ・ムニュスキンは年中国とけんかをして、予算を取っている。そこで3〜5年間のビジョンを立てて、この芝居は5年後にはどうなるか、そしてどうであるからいくらをよこせとか、そういう計画を演劇人が出すとか芸術家が出していかないと、ただ職人の延長上のようで、おれはやると、そうすると今度、展覧会をやると美術家どうしの奪い合いになります。それから演劇をやると俳優たちの奪い合いになる。どこが来てやっている、どこは閉め出すとか、そうすると同じように公文教系統のところでいうと5大劇団がやってきてその劇団がやるとだめ。そこで小劇場がそういうところでやり始める。小劇場が今度、新しい劇場に入り込んでくるとそれはだめと。
能楽堂の柱が取れるというのは、金沢はずいぶん画期的なのです。能楽堂の柱、目付柱というのがぽんと取れるのです。あれは名古屋でやったときには、能楽堂の柱を取ると、能楽堂協会は「貴様、侮辱した」と、太田房江さんを相撲の土俵の上にのせる、のせないという同じことがそこで繰り返されるのです。あそこをコンベンションとして利用していれば落語も舞踊もやっている、あそこは小芝居の部屋としては非常に便利な小屋だと思っているのです。博多座は完全に北島三郎ショーになりました。そうすると、歌舞伎を持ってくる、はい、松竹が出てきました、東宝がミュージカル持ってくる。「何かやってくれるの?」「何人入るの?」ということの論理になってくる。そうすると、大きな劇団が自分の芝居を売るための興行権になってくる。それの方便によって劇場というものはできているという、少し熱く語ってしまいましたが、僕はこれは真剣なのです。自分の職業ともかかわっているものですから、そういうのが感想です。
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●荒川 正直に申し上げると、私の最近の演劇的関心はもう役者の肉体の中に潜り込むという、あるいは声の中に潜り込むという、そういう感じなのです。ただ、私も昭和26年に初めて杉村春子さんの『女の一生』でしょっちゅう旅に出ました。そのおかげで、26年から30年代いっぱいまでずいぶん日本中を動きました。一つは、駅前が非常に画一的にどんどん変化していた。もう一つは、我々が実際に芝居を上演する場の問題です。26年ごろですと、かなりへんぴな町へ行ってもまだ大分芝居小屋というものがありました。
それは何回か変化の区切りはあったと思うのですが、公共施設に変わっていくとかいう中で、これも本当に古い話で、昭和38年ですか、新宿の伊勢丹のすぐ脇のアートシアター新宿文化が、深夜の演劇公演と、一応歴史的には戦後の小劇場活動のファーストランナーという役割を務めたのですが、その観点から多少、あまり難しいことは申し上げられないのですが、頭に浮かんだことがあります。
よく外国の都市で、例えばヒューストンなどですとアレーシアターというのがあるのです。何と訳せばいいか、小道劇場ですか。ニューヨークでは、これはオフ・ブロードウェーの方ですがチェリーレーンシアターがいわゆるオフ・ブロードウェーの劇場としてはかなり古いもので、戦後で言うとサミュエル・ベケットとか、アメリカの作家ですとエドワード・オールビーとか、三島さんの『近代能楽集』のどれかもそこで上演されています。それで何となくそこからインティメイト・シアターとか、そういう小劇場を道筋にとふと思い出したのです。先程も出ていましたように、芸術村のPit2というのが非常におもしろい。実際にアメリカやヨーロッパへ行くといくらでもあるというスタイルですが、日本の芝居を上演する場所としては非常におもしろい空間です。もとのただの紡績会社の倉庫をそのまま一切触らないでおいたという、これは水野先生のお仕事です。
こういうものを中心に置いて、町中のそれこそ路地裏であろうと何であろうと、あるいは竪町の商店街にあるこの間まで吉本が使っていたところとか、そういう意味で小劇場にお金をかける必要はないのです。むしろ昨日、竹村さんがワークウェアということをおっしゃっていました。シアトリカル・ワーカブルウェアとしての意味では機能しなくてはいけませんが、壁に何か凝るという必要は全然ない。そういう小劇場を70席から最大300席くらいまでの間のものが、どこを都心と見るかは別
にして、10か所くらいあってもいいのではないか。
現実には、私は企業で多少そういう小さい空間を、若い人たちの音楽のために使われているような場合が多いような印象がありますけれども、演劇を自由にできるような比較的小型の劇場を10か所くらい意識的につくっていくということもおもしろいのではないかと思っています。
現在の菊川小学校の場所に川上芝居という、犀川の川上というイメージでしょうね。実際にあそこに地名か、バス停で川上というところがあるようですが。正確な年度は忘れましたが、あそこに江戸時代の後期に大劇場があったようです。その当時の京都、大阪のどの劇場よりも、今残っているデータを見ると大きい劇場だった。ちゃんと芝居茶屋の風景の資料もちゃんと残っています。それで金沢での歌舞伎は、私はもちろん演劇史家ではないのですが、僕が調べたかぎりでいくと三都に続くくらいの上演がされていたと、それははっきりしています。 |
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●松岡 いろいろありますが。そうですね、全然違う話をしましょうか。結局、創造都市とか、都(みやこ)をつくるにはソーシャルキャピタルあるいはカルチャーキャピタルのような、今までのプライスメカニズムではなくて、意味とか人のかかわりとか学習性だとか記憶だとか、あるいは記録だとか、そういう今までの価値ではない価値をどうつくるかということだろうと思うのです。そのために遊芸もあれば、踊りもあれば、染め物もお菓子も出てくる。しかし、そのお菓子や染め物の経済的な仕組みというのは、私も京都の呉服屋のせがれでわかるのですが、経済だけで見てしまうとそう簡単ではないわけです。
川勝さんが最初に言われたように、要するに明治以降、経済だけで都市をつくってしまったということになってくると、仮に染め物でも経済の中でとらえるとうまく生きられないわけです。そうすると、何か別
の変換の視点を持って、染め物なり、和菓子なり、能なり、歌舞伎なり芸術というものを切り替えなければいけない、浮上させなければいけない。それは結局、意味の経済学というか、経済文化学のようなものが必要になる。それがどうも金沢だけではなく日本全体の中に登場しなければいけないのに、先端的には着手している人はいるのですが、恐ろしく遅れているのです。
その遅れた理由というのはいくつもあります。気になっているのは、近世江戸社会のすばらしさというのに着目することは大事なのですが、それを今日のように完全に経済主義的な社会の中でどのように言い替えられるかとか、編集をし直せるかというと、あまりにもできがいいので、大体できのいいことはここ10年くらいで皆さんわかったと思うのですが、少しも転換ができないままきているように思うのです。そこでむしろ問題は、もし歴史から学ぶのなら、一つは明治のように欧米を導入して富国強兵をやっている中で、例えば玄々斎のような人は立礼式のようなお茶を作っただとか、興福寺は5円くらいで売ろうとしたが思いとどまったとか、歌舞伎は井上馨とともに何とか天覧相撲で持とうとしただとか、要するに欧米を入れながら伝統的なものをどうストラグルしたのかということを、批判的にもう一回学び直す。
それからこれは実際にはセッションの中で僕も出したことなのですが、むしろ中世です。金沢を含めて前田以前と言っていいと思うのですが、中世というコミュニティが日本に発生したときの基本的なあり方の組織論や経済論、簡単に言えば結とか講とか座というもの、あるいは宮座や祭りの発生というものも含めて、もう一回戻して、非常にらん熟した江戸を横目で見ながらも、もう少しつらい発生源というものに一度目を向けるということをお勧めしたいのが一つです。
それから話が全然違いますが、先程のソーシャルキャピタルとかカルチャーキャピタルをつくるには、やはり意味の変換ということが必要です。そこでこの一年半くらいで私の方でシステムを開発して、これはおもしろいと思えることが三つスタートを切りました。創造都市や金沢のみやこぶりにとってお役に立つかどうかわかりませんが、簡単に紹介をしたいと思います。
一つは学習システムです。これは2プラス1というもので、慶応と東大あるいは各小学校を実験の場所にしてつくっています。子どもたちが二つのものを任意に持ってきて、その二つのものの関係をもう一つ自分で加えて2プラス1にして、システム(パソコン)の中に入れていく。そうすると、次にさらに二つのものを持ってきて、さらに自分のものを入れるとそこがリンクになってきて、そのリンクの間の中の自分が思わずつくってしまった世界、そういうものをお互いに見せあって説明をする。簡単に言えばそういうシステムで、非常におもしろがられて、特に慶応の幼稚舎をはじめとして小学校のレベルで今テストをやっているのですが、私が想像をしたよりもインパクトが強かったのです。これは何かというと、一言で言うと、AとBというものが常に二つ与えられる。それにもう一つCを加えて、ABCによってはじめて何かの説明をするというルールなのです。
金沢も昨日の夜の会でも僕は大分言ったのですが、兼六園もいいし、尾山神社もいいし、近江町の問題もいいし、県庁の移転もいいし、芸術村もいいけれども、一個一個の議論が全部よくて、では近江町と芸術村と一見関係なさそうなものを二つ受け取って、さらにもう一つそこに加えて問題を難しくして解決しようという気がどうもなくて、簡単にしすぎている。ところが、子どもは逆にどんどん難しくなった方がおもしろがって、問題解決能力が速くなるのです。それを一つお勧めしたいというか、ご参考にしていただきたい。
二つ目はパドックシステムというものです。これは日経の連中と始めたところ、いろいろな企業の人がおもしろがって、最終的には三菱が買いたいというので買ってしまいまして、この6月からスタートを切るものです。これは簡単に言いますと、実体経済以前に経済というのが動くのではないかということです。僕は競馬はやらないのですが、あまりにもいつもきれいなのでテレビで時々競馬を見ています。そうするとパドックというものがあって、きれいに回っている。これで最後で、ついにこれで締め切られて馬券を買うのだと思って、ふっとあることを思ったのです。つまり、実際に出走して争うのはこのあとから始まるわけです。にもかかわらず、競馬の馬券というのは出走以前にすべて買うものです。ちゃんとやっていないからこの辺がリアルに言えないのですが、これは考えるととてもおもしろいことです。簡単に言えば、情報だけに全部お金を投与しているわけです。
おもしろがって見てみると、馬体だとか馬主だとか馬場だとか馬の血統だとか、要するに文化のミームのこと、あるいは人為のことすべてをどんどん素人の人も研究をして、もちろん勘で買う人もいるでしょう。ところが、情報を編集して編集してやったものが、当たる当たらないは別
にして、それに事が起こる前にお金をかけてしまう。そこで、「これはおもしろい。これはネットワーク社会がやるべきだ」と、要するにリアルワールドで起こる以前に、バーチャルな社会、簡単に言えば競馬という小さな社会ですが、投下資本としてそれができるようになっている。だったら、それに代わるようなパドックが成立して、そして情報がそこにあって、それに簡単に言えばオッズをかけられるような仕組み、こういうものを作ったらどうかということでパドックシステムを、大体一年半くらいアクセスコントロールから細かいセキュリティの問題まで含めて開発をしたのです。これは大変におもしろいものだということで、今、三菱と日経が6月くらいからスタートを切るようになりましたが、一切実体がないのです。ですから、情報だけでお互いに売り買いができる、オッズがかかるということなのです。
そこまできていろいろ考えると、結局、活性化とか未来の経済化というのは、中世でも江戸でも明治でもなくてこの時代の中で、新しいインターネット、Web
、デリバティブだとか、ユーロだとか、中国、台湾だとか、こういう矛盾の中で新しいことを模索すべきである。歴史からヒントをいくら取ってもいいとは思いますが。そうすると、何が足りないかと言いますと、ここからは乱暴な話になりますがインタースコアということが足りないのではないかと思い始めたのです。お互いにスコアしあって、エバリュエーションしあって、そのドキュメントを交換しながら徐々に膨らませていく仕組みというものが足りないのではないか。実際には、いくつかのソフトの中に、簡単に言えば手形の裏書きのように、あなたのやっていることはおもしろいと思いますというのを書き込んでいきながらぐるぐる回る「eBay」という仕組みは、あるいは私はこれは価値だから価値という単位
で、ほかの価値と交換してほしいという、グリーンドルのようなエコマネーのようなものもできているのですが、まだ何か日本の現状にあったものには成長していないのです。
そこで、三つ目にシステム開発をしたのが「編集の国」というものです。今、実験し始めたのですが、書き込み可能な通 貨というものをお互いにつくり合う。ちょうど日本はかつては藩札というものを持ち、かつては自由なたくさんの単位
で地域経済というものを確立していた。そして米沢藩は頑張ったとか、薩摩藩はお芋をつくっただとか、そういうことをやっていた。それがいいかどうかは石原都知事の例の発案などに、急に前都知事が呼応しはじめているのにもあるように、意外にひょっとしたらありうるとは思っているのですが、一言で言えば、ある価値があれば、そこに金森さんなり、田中さんなり、川勝さんなり、福光さんなりが文化的な裏書きをして、そのドキュメントがそのまま物とともに、友禅なら友禅とともに、和菓子なら和菓子とともにだんだん流通
していく。いいものであれば、100くらいの人の裏書きとかドキュメントかが残る。これをインタースコアと言っているのですが、どれもそういうことを仕組みにしてシステムにして入れていく必要もそろそろ出てきているだろう。
そのように思って、改めて江戸を見ると、江戸の芝居の細見とか、役者評判記、名所、名物、名代だと、あるいはその町の名前だとか、門の名前、坂の名前というのは、どんどんインタースコアの量
を増やして、皆がそれを奪い合って片町だとか近江町といった大ざっぱな枠組みではなくて、非常に細かい情報の文節力をつけている時代だったということが浮上してくるわけです。ただ、それを懐かしんでももうだめなので、それを現代の新しい仕組みとか、私はそれをとりあえずは「編集の国」という国の中で一度実験してみて、出てきた成果
を皆さんにまた配ろうと思っています。何か閉じてもいいから、未来にとんでもないこと、まだやっていないことに、金沢というものはかけていただきたいと思うのです。
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●竹村 僕が議論をしなければいけないと思っていた方向に、まさに松岡さんが引っ張ってくださったと思います。先程、場所に空中ポストイットを貼り付ける。それは、こちらからレディメードの文化財情報を貼り付けておくだけではなくて、市民も、例えば鎮守の森の樹木に関してずっとその木とともに人生を送ってきた方が、見えないポストイットというかたちで貼り付けられるようなシステムをつくっておくといった発想は、まさに今のインタースコアリングということだったと思うのです。それを僕は物ではなく場所にということを考えたわけですが、たぶんそこは松岡さんは投資財として育んでいけるようなシステムにまで高めようということをおっしゃった。
私はそのことを投合して考えてみますと、僕は金沢の環境担保、あるいは文化担保というのを増幅していく新たな基金のシステムというものを、ドイツのエコバンク的なかたちで設立することもできるのではないか。そのときに例えば、どこかの特定の樹木とか特定の文化財のようなものに多くの人がポストイットを貼る。それは自分の思い入れとか経験資源を貼っていくのみならず、貼られていくということはそれだけ見えないお金がそこに預託されていくと考えるわけです。それだけ張り付けられたポストイットの高と質、量
によって、見えないお金が預託され、その見えないお金をサポートするようなリアルマネーが流れるシステムを、公でも私でもない今日的なエコバンク的なかたちで貯める。エコバンクというのはご存じない方のために念のために言っておくと、普通
の銀行に預けたら利子が出ますが、その利子がずいぶん少ないのです。例えば普通 は2〜3%利子がもらえるところでも、0.5%しか利子がもらえない。では、その目減りした利子は何なのかというときに、それは実は自分が望む環境保全の対象であるとか、こういう有機農法ですばらしいワインをつくっている、そういう安全でおいしいワインを毎日飲みたいからそういう企業に投資したいという人が、直接、その企業の株を買ったり、投資したりするわけではなくて、その銀行に預金をしてその預金の金利の一部をそういうところに投資されるように自分で選びながら投資できる。利子の一部をそこに補填するかたちで投資できるようなシステム、それをエコバンク的なシステムでやっているわけです。例えばそういうかたちで空中ポストイット的に場所とか物に貼り付けていって、見えないお金をそこに担保していくようなかたちで結びつけていくことによって、先程言ったような金沢の文化担保増幅システムのようなものが設立できるのではないか。
それが必要なのは、昨日から言っているように大きな時代認識として言うと、情報産業時代というのは場所とか立地とか地域性というのは全然問わない時代になる。工場というのはどこかになくても、例えば「リナックス」のようにマイクロソフトのような企業体を持たなくても、世界中に分散したコラボレーションで何かものがつくられてしまうし、世界中のどこかで発明されたもの、あるいは世界中を一気に席捲してしまうということは、本当に金沢という場所の担保というのは、昨日も言ったように産業とか経済というベースではありえなくて、本当にどういう文化資源あるいは環境資源を持って、その地域がどんな魅力を持っているかです。あるいは、昨日も議論が出ましたが、金沢ブランドというものをもって商売をすると何とかうまくいく。これは一種の与信能力、与信力ですね。信用を提供しているわけです。それでインターネット時代になればなるほど似たようなものがどんどん出回りますから、ブランドという概念をもう少し広義に解釈すると、「金沢が発信するのだからたぶんいいだろう」とか、「安全だろう」とか、「信用できるだろう」とかいう与信力、この担保です。
これも百万石というような江戸時代の財産を食いつぶすかたちではなくて、江戸時代の遺産に依存するのではなくて、新しく文化担保、与信力というものをどう増幅していくか。そのときにインタースコアリングというボトムアップのシステム、空中ポストイット的なあり方、まちづくりにそれを載せるわけですから、それがたぶんヒントになっているのではないかと思います。
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●福光 いろいろありがとうございました。講師の皆さんにお越しいただいて、そして今回、プレシンポジウムということでこちらから指名した方々、あるいは指名した団体の皆さんにお越しいただいておりまして、そういう意味では非常に気持ちよく先生方からの毒を浴びたわけです。
その部分が実は、金沢に足りないものだと思うのです。おそらく基本的には、非常に触りにくい感じを持ちながらこのまちづくりをしている状況が続いているのだと思うのです。その触りにくい部分というのが、何となく概念としての百万石だったり、歴史だったり、前田だったりするのです。
しかし、もうそろそろ、酒で言うとコクを出していただかないといけないということだと思います。あっさりしすぎているという感じが、たぶん外に伝わって行っているのではないかと思います。それを金沢の話としては、どのような手法
でコクをつけていくか、次の時代の金沢をつくっていくかという方法論についてはいろいろとアイデアをいただきましたので、また、皆さんと一緒に何か具体的にやっていかなければならないと思います。
この金沢ラウンド、金沢創造都市会議というものを2001年には本番を迎えなければならないのですが、一昨日の夜の夕食会から夕べ、そして今日、先生方とお話をしていてずっと思っていたことがあるのです。というのは、議論だけしてもしようがないなという非常に単純なことだったのです。理論の方も尽きておりまして、今日もこの会場に関しても、これからつくるときにもっとしたらいいと思うのは、円卓にはならなかったかということだとか、マイクシステムがうまくいっていないとか、きちっとつくった場所でもそういう問題があったりしますが、別
につくった場所でなくても議論ができるということの方がおもしろくなったりしてきている。そしてまた、議論が場所を替えたくらいの知恵しか出ないほど方法論が行きついている。議論をしていても、これから本当に町が変わるのかというと、あまり変わったためしがないのではないかということも思っております。
そういう意味で、先程お話が出ました実験を組み合わすような方法については、なかなか画期的なことだろうと思うのです。いくつもアイデアをいただいていまして、どの実験を組み合わせればいいか選ぶに困るほどのメニューが、今回、特に与えられました。ぜひ議論だけではなくて、実験をともなうようなことをして、いろいろな国から集まってきた都市の人たちにも、世界の中でこの地が一つの実験の場であるということを認識してもらうというのがかなりおもしろいことになりそうです。それを先程、早川さんがおっしゃったように、インターネットでオッズをネットしてもらってもいいということだと思います。
それからもう1つは、具体的に先程から資金の使う、あるいは増やす文化的な価値を担保していくという話が出ましたけれども、そういうことも本気で考えないといけない。行政も企業も具体的にこのような状況の中で、これ以上どのようにして資金を出せるのかというとかなり難しい状況です。それをどのような知恵で世界からお金を集めていくか、それを金沢が使うか、そういう実験も世界の都市論の解決のためにやってもいいわけです。何かそういう一つのおもしろい夢の場としての金沢ラウンドにしなければならないという
ことを、非常に今回思いました。去年まではこの議論の場をどのようにするのかということを考えていてもかなり暗くなっていたのですが、具体的な話を組み合わせるのが可能だということが、今回、非常によくわかりまして、その方向に向かっていった方がたぶん人が集まってくれるだろうし、いろいろな知恵が出てくるのではないかと思います。
ぜひ、そちらの方向でたたき台をつくっていきますので、先生方をはじめ、今日参加の皆様にもお知恵を拝借したいと思います。本当に今回はありがとうございました。
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